when I'm seventy-four

メルマガ今週分を書き上げる位の時間にFAX着。
見てみると、久々にFAXでの通販。用紙の左下には達筆で住所と名前と電話番号が。それを見るや否やという感じで電話の着信。「いまFAX送らしてもらったんですけど」。
聞けば自称74歳の男性。「どうにもきちんと注文できているか分からなくて、心配でFAXしてみたんですわ」とのこと。
すごいな~。年齢で区別するつもりはないけれど、74といえば僕の父よりも高齢。そんな方が、ZEROのウェブで注文して下さる……というか、ZEROで買うものがあるというだけで驚き、嬉しく思います。しかも買ってくれたのはデジタル・クンビアですよ。ZZKにBERSA DISCOですよ!
僕は常日頃「自分が歳をとったら、こんな店は続けられない。いつまでもこんな風に新しい音楽を探し求めることはできない」と周囲に話していますが、まったく恐れ入ります。74歳、僕なんかその半分ですよ。まだまだですね。

きっと、世代的には日本へのクンビア初上陸と言える↑のシングルなのでしょう。こういうサウンドが本当の目当てで、買ったものは期待外れだった……なんてことにならないと良いのですが。
ところで1965年8月に発売されたこのシングル、弘田三枝子『恋のクンビア/愛の言葉を』(COLUMBIA/JPS-12)解説のテキストがなかなか味なモノでしたので、ここに転載します。
そういえば、Goodings RINA嬢も『bounce』の連載でコロンビア?アルゼンチンの音楽を紹介していましたね。このレコードは和製クンビアの第一弾。
本邦作曲界の鬼才和田香苗の作品です。(第二面はカンツォーネ風のバラード)
クンビア・リズムは数年前からアルゼンチンで大流行をはじめ、さらに昨年末、メキシコのヒット・パレードでもずっと上位にランクされていたもので、とうとう日本にもやって来ました。ラテン・アメリカ各国では、今やクンビアが全盛ですし、クンビアが世界を席捲するのもそう遠い日のことではないでしょう。
ところでクンビアは、決してきのうや今日生まれたニュー・リズムではありません。その本場は南米北西端のコロンビアの国の北部海岸地方。このあたりのサンタ・マルタ、カルタヘーナといった、港町の漁師たちが海辺の砂浜を舞台にして踊る素朴なフォークダンスがもとになったものなのです。彼らは、大漁を祝って、月夜の浜でクンビアを踊ります。貧しい中にも陽気さを失なわず、ちょっとバイヨンに似たバウンズ・スタイルのリズムと、そこはかとない哀愁をただよわせたクンビアには聞く人の心を打たずにはおかない独特のムードがあります。コロンビアの音楽は、大体がスペインとインディオの混血(メスティーソ)系のものが主流を成していますが、海岸地方には黒人の影響が強く入りこんでいます。このクンビアのリズムも、お聞きのように明らかに黒人系のもので、それだけインターナショナルな要素が濃いと申せましょう。
このクンビアの起源については、明確なことは分かりませんが、西インドのキューバ音楽などがいつのころからかコロンビアの港町に輸入され、この国の郷土音楽と融合し合って生まれたものでしょう。クンビアは又、中米のパナマの国でも、古くから盛んに踊られています。これは、コロンビアから伝わったと伝えられますが、その逆にクンビアをパナマ起源の黒人舞踊とする学者もあります。そして「これは、男女間のエロティックな争いをかたどった踊りである。」と記述しています。
それはともかく、クンビアはコロンビアの港から次第にアルゼンチン、ペルー、メキシコなどにひろまりました。オリジナルなものは非常にメランコリックな調子で、一種独特なかけ声などを加えて踊られる、ごくひなびた音楽でしたが、そのリズムは強調され、よりスマートな形になりました。そして、ついに各国のヒット・パレードに登場したわけです。